今さらながら民主主義は存在しない

連休中さっそく投稿落ちまくりで、つくづく自分の継続力の無さを実感したこの数日、家族サービスに全力投球といっても言い訳にしか見えないのが、インタネットサービスの過酷なところ。

記事を書かないうちに考えられる事も色々あって、今日のテーマに至ったわけなのがついさっき帰宅中に思いついたんだけれども、ほんとにチャンスって限られてるよな人生において。

チャンスってのは、天から降ってきたようなそれがたまたま自分の頭上にドンピシャで降りてくるような瞬間のことを指してるんだけれど、まあこないね。待てど暮らせどね。

テーマに沿ってちょっとウィキってみたら、こんな立派な記事があった。寡頭制 - Wikipedia

うーん、僕の言いたい事がほぼこのリンクの内容で網羅されてしまってるので、いちいちここで言及するのが恥ずかしくなってきた。

とはいえ、若い時からなんとなく思い描いてたことが本当にそうだったんだなと実感したこの数日でもあった。

いいたいことをまとめると、僕らの住んでいるこの世界は今も昔も、上記リンクのような作りになってて、少数の支配層が世の中を動かしてる中、僕ら民達は、ほんの降って湧いたチャンスに一喜一憂して生かされていると。少数の支配層からすると当たり前に手に入るものなんだけど、僕らにとって当たり前ではないもの、それこそがチャンスだと。

その漠然とした本質に気付いた人々がいて、能動的に行動を興しチャンスを我がものにしたりするといつのまにか、その少数側の層に仲間入りしてたり。いわゆる成功者っていうやつになると、かつていち民だった頃の思いは母親の胎内に置いてきたのか、完全に支配者の顔になってるという構造。

自分の思いは、その状況に対して憤るも焦るもなく、ただその現実を受け入れるしかなくて、これからますます自分で自分の歩む道を切り開いて進むしかないだろうと決意改めるのである。