政治思想は人を支配する枠組み 芸楽は人を豊かにする仕組み

芸術に政治を持ち込む云々、とは以前からメディアでよく目にする言葉だけど政治と芸術って全く相容れないというか、対極にあって相反するもので、タイトルの通り目的が違うから一緒にできるはずがないだろうに。

60年代安保の昔から、昨今の法案改正への抗議行動とか、それに関する学生運動とその時代の音楽をリンクさせたりしたプロモーションがあった場合に、よく文面にされる”音楽に政治を持ち込んで・・”とかの文言を見るたびに、「あ~また残念ながらの表面的な紹介文やな」と、本質から見つめる事を逃げてる人達との距離を計りながら、「そもそも抗議デモとか学生運動の類は政治ちゃうやろ」と一人突っ込んで「まあ音楽ってのも嫌いやしどっちもどうでもええな」と、これまで一人納得して流してきた。

僕は音楽家には興味ないし「自分の表現は文芸楽曲」とこれからも表明しつづけるのでそこは切り離して考えるけれども、政治については自分を取り巻く環境に関わってくるので、注視し続けてきたしこれからも一生ついて回るテーマだと思ってる。

政治思想とは、不特定多数の民をその思想の元に縛り支配し続ける枠組みであって、それ以上でも以下でもないし、政治思想の領域へ踏み込んでいくことはつまり支配層へ参加していることに他ならない。別にそれを糾弾するつもりもないけれど、政治思想に関わってる人達ってなんか理想郷を目指しているように見えるんだけども。

実際の政治家っていうのは、どうやって効率よく民を支配していけるかと日々研鑽に励まれている高尚な方々で、ユートピアを現世に打ちたてよう!とかその類の幻覚症状を掲げて活動している人はいないわけで、しかしその政治家先生を支える人達ってのが、ほとんど幻覚と現実の区別がついてないような人達ばっかり。

学生運動とか抗議デモを行う人々または政治家を支援擁護する人々は、政治活動を行っていない。したがって音楽家とつるもうが、画家と一緒に個展をやろうがどうぞご自由にであるし、政治と全く関係のない行動であるのも一貫している。政治を行っているのは政治家先生と官僚様のみ。だから僕ら一民が政治に干渉する余地なんてこれっぽっちもないし、政治と芸術をかけあわせるなんてできるはずがないんだと。はっきり認識しておきたい。

選挙っていう形式だけの行動選択があるけれど、現実は無効力の形骸化した儀式みたいなもの。ほんとの民主主義ってあった試しがないんだから、選挙なんか初めから全部決まってるってこと。僕自身は投票があれば、なんであれ必ず行ってるんだけれど。僕らに選挙権はあっても政治に関わる権利は一切無い。

では、芸楽に携わる人々は何を表現しているのか?おそらくほとんどの芸術家は、政治思想に支配された民の代弁者として表現活動を行っていると思う。

いっぽう、支配層に取り込まれた”音楽家”や”文筆家”とか”アーティスト”の類はたくさんいると思うが、それらの人々が行っているのは「芸術」ではなく”広告”なんだと思う。