区切り(ドアーズのブレイクオンスルー・トゥディアザーサイドについて)

昨日で、ひと区切りついたと思える事があった。といっても、日々なにかを区切っていくのが日常ではあるのだけれど、今までいくつか背負い込んできたもののうち、一つをようやく下ろせる時がきて自分の中では一つ清算できたかなと。

ドアーズのブレイクオンスルーっていう定番すぎる楽曲について思うことがあって。

まだリンクの貼り方とかチャレンジできてないので、いちいちリンク貼ったりしないが、そのうちやればいいかな。今は思いを文字に起こすことだけしかやる気が起きないし。

”Break on through to the other side”ぶち当たって反対側に突きぬけるんだ

ていうサビフレーズ、和訳の投げやりさに突っ込もうというわけではなく、おそらくドアーズの作詩はほとんど、文学や詩から引用されたものが多いと思われるし、当人達もそんなに深い意味を持たせるつもりはなかったはず。

僕がこのフレーズや歌詞全体から感じるのは「区切り」で、これまでの過去との区切りであったり、現在の自分達と他者との区切りだったり、歌詞にいくつか意味掛けされているのはソングライティングの常ではあるけれど、上に挙げた和訳の、ぶち当たって反対側に突き抜けろ・・のくだりは、間違っても当人達にそんな意味合いを持たせるつもりは無かったと断言したい。

仮にまだ存命のメンバーに歌詞の意味合いを尋ねる機会があったとして「ああ、ぶち当たって反対側へで合ってるよ」なんて返答があれば、その時から僕はドアーズを聴かないことにする。ジムモリソンが生きていればなんて言うかわからないが。

90年代に多感な時期を過ごした僕ら世代は「オルタナティブ」というワードに敏感な人が多いと思うけれど、ドアーズが活動した60年代後半にあってまだオルタナティブなんて単語が一般化してない時代にこのフレーズ”Break on through to the other side”の後半「ジ・アザーサイド」というワードがある。

オルタナティブうんぬんを語るつもりはないんだけど、ジ・アザーサイドという単語に、彼らドアーズが過去や他者との「区切り」をはっきり意識していたと感じられてならない。

フレーズ自体はなにかしら文学作品の引用かもしれないけれど、彼らの「区切り」意識にこのフレーズがフィットして、デビュー曲に彼らの宣言として充てられたんじゃないかと。

個人的に僕が一番好きなドアーズの曲は「ソウル・キッチン」なんだけど、ブレイクオンスルー・トゥディアザーサイドという楽曲は何かが変わる夜明けの象徴だと感じるし、ドアーズもそういう意図で制作していたんだと思う。