人生は絶望の連続 希望は人をただ生きながらえさせる中毒剤

今日、仕事中になかなか絶望的な出来事があったからこそ、タイトルのように思い込んだわけで、哲学的な気分に浸ってるわけではない。

思えば、自分のこれまでの生い立ちからも記憶を辿っていくと、それはもうほぼ希望に満ちていた時期など皆無だったと、改めて実感するし、あったとしてもほんの瞬間だけなんだな、あれは良かったな!と思えたり、これからの人生に希望を見出したりした時間って。

あの時はしんどかったな、がむしゃらにやってたな、ひたすら無駄話に明け暮れたな、とかアマちゃんだった、無知だった、何も残せてなかった、とか思い出すのは焦燥感や絶望感に溢れた思い出ばかりが蘇り、美しく素敵だった思い出などほとんど出てこない。

僕個人の現実は、その気持ちしかリアルな感覚として持ててないし、家族や身内の彼らが今までどう思っていたり感じたりしていようと、僕はその思いをずっと抱えている。

絶望がベースにあって、時にはそこから這い上がったり引き上げられたり上手く階段を駆け上がったりして、わずかに希望を見出す一刻があるけれど、原点は変わらないし、変えようとしたことがない。

昔はそういう自分がダメなんだと、苛まれた時期もあった。これに耐えられなくなったら、もう人生チェックメイトだなと、終わらせれば楽になるのかなとか、考える時期もあった。

最近は年のせいもあってか、絶望とうまく付き合えている気がしていて、むしろ絶望こそがエネルギーの源泉なのかもしれないと思うようになった。

だって今までね、このままじゃヤバいわ何か新しいこと始めよっ!て思って色んな事に手つけてきたけど、それぞれのきっかけって全てそん時の現状に絶望してたからこそ、その現状から逃げる為に次の何かをやり始めてたって事に気付いたから。

つまりずっと逃げ続けてきたんだと、現実に向き合えずその場しのぎでいろんなものを捨ててきたのかなって。で、人生も折り返し地点を過ぎてようやく、そろそろ捨てていくのはヤメようというか、捨てるものが無くなってきたのかな。なんせ残してきたものが無いから(笑)

絶望を源泉に生き抜いていくって、どういう心境だろうと昔は想像もつかなかったけど、今まさにその心境で落ち着いてる自分がいるし、リアルに生きるってこういうことかと。

夢見心地で来たんだね今までずっと。